限パロクリスマス。

自分の部屋でひとり鼻水すすってイライラしながら世のカップルを呪わないクリスマスなど、何年ぶりだろうか。
その思考すらみじめだと言わんばかりに浮かれた町並みを、目的地に向けてとろとろ歩く。逸る気持ちと裏腹な歩調で、恋人の家まで。去年や一昨年の自分が今日の自分を見たらきっと悔しさにくわえたハンカチを噛みちぎっていただろう。それくらい、今年のクリスマスという日はオレにとって待ち遠しい日だった。
恋人。世間一般の思い描くのとも自分が思い描いていたのとも異なる相手だったが、そんなことはどうだっていいくらいに好きな相手。神様なんて受験前以外ロクに信じちゃいなかったけれど、これだけは感謝してもいい。
ざりざりと靴底を減らすアスファルトを鈍足に蹴りながら、住宅地の細い道を進む。会って一番に何を言うべきなのか――ベタにメリークリスマス、だろうか。それとも普通に挨拶でもすればいいものなのか。いっそ出てきた瞬間にキスでもかますべきか。恋人など生まれて初めてできたオレにはどうするものなのか皆目見当がつかない。そりゃあキスだって何だってロマンチックなシチュエーションにはそれなりに憧れるが、いつも気恥ずかしさがそれを上回って大胆な行動はできずにいる。
接触も告白も向こうから。付き合ってからだって、学校で弁当作って来て貰ったりだとか、帰りに待ち合わせする時に毎回待たせていたりだとか。日々の事だけ抜き出して考えても尽くしてもらっているというほかない。むしろ思い返すと尽くされまくりで罪悪感すら覚えるほどだ。しかしそれだけオレを愛してくれている裏付けでもある。罪悪感を覚える裏で緩む頬を自ら軽くつねって気を引き締めた。油断は禁物だ。
愛されている。だからこそ、今日くらいはストレートに日頃の感謝も愛の言葉も伝えたい。よって会って初っ端から失敗するわけにはいかないのだ。
そんなわけで出来る限りゆっくり考えつつ歩いていたのだが、さほど遠くもない道のりだ、恋人の待つ家はすぐそこである。初めてではなくても未だに慣れない高級マンションのセキュリティに驚きつつ、インターホンを鳴らす。カメラ付きだから名乗る必要もない。
「オレだけど」
『うん、今開けるな。部屋間違えるなよ』
「間違えるわけねーだろ、初めてじゃあるまいし」
『ははっ、冗談だよ。待ってるな』
部屋あったまってるから、早くおいで。たったそれだけの会話にじわじわと口角が上がるのを止められない。
部屋に行く前でこれなら、会って部屋で一緒に過ごしたらオレどうなっちまうんだろ。とかなんとか幸せを噛み締めてみたりなんかして。かつての俺みたいな奴らから受ける呪いなどどうとも思わない、むしろ羨ましいだろもっと羨めなんて思うくらいにはその一言が嬉しい。優越感。
傍から見たら不審極まりないだろうというくらい緩み切った表情のまま、エレベーターに乗り込む。六階のボタンを押しつつ、壁に設置された鏡で緩んだ顔をどうにか直して到着を待った。少しの浮遊感のあと、扉が開く。
すーっと左右に開く扉の向こうに、見覚えのあるアンテナ頭。
「左右田様お待ちしておりました!」
「……おー、出迎えご苦労!」
「ははーっ」
「って誰だよ!」
「あはは、ナイスノリツッコミ。寒かっただろ、早く中入ろう」
さりげなくオレの荷物を片方取って、日向がすぐ傍の部屋の鍵を開けた。角部屋だ。これを見る度本当にこいつはいいとこのお坊ちゃんなのだなあと思う。
ああそういえば第一声を考えていたのに全てパーだな、とも思い出すが、今更なので心の奥にしまっておくことにした。要は気持ちが伝えられさえすればいいのだし。
室内へ続くドアが開くと、中の空調で温まった空気がゆるく頬を撫でた。温度差に自分の体がかなり冷えていたのだと気付く。日向がぴたりと手をオレの頬に当てて、つめたいと笑った。
「お邪魔しまーす」
「いらっしゃい。ゆっくりしてけよな……っつっても、泊まるんだろ?」
荷物多いもんな。オレの持ってきた鞄を奥に運びながら日向が言う。泊まりで遊ぶのは初めてじゃないし、日向の家で遊ぶ時は大体泊まりだ。冬休みに入ったならなおさら。
「都合悪かったか?」
「いや、むしろ暇だったから泊まりで誘えば良かったと思ってたとこ」
今日明日は一緒だな、なんて言いながら笑う恋人ににやけ顔を隠せない。少し邪な考えが脳裏にチラついたりもしたがそれはどうにか押し殺して、ただ一緒に過ごせる時間が伸びたことに喜んでおく。
何度か来たことのあるリビングに通される。相変わらず男子高校生の一人住まいとは思えない小奇麗さだが、今日はそこに小さなクリスマスツリーがあるせいか少し華やかだ。後で電飾でも追加してやろうかと考えながら、部屋の真ん中にでんと鎮座するこたつへ足を突っ込む。
「うおーあったけー!」
「あっ、こたつ入る前に手洗いうがいしてこいよ、飯食うんだろ?」
「へいへい。オメーは母親かっての」
「洗面所はトイレの横な」
「んー」
言われるがまま、洗面所に入っていく。勝手知ったる他人の家というやつだ。恋人相手に他人という表現をするには少し悲しい気もするが、その辺りは仕方ない。大人しく手を洗いうがいをし、壁に掛けてあるタオルで手を拭く。ふと自分の手を見て、プレゼントのことが頭を過ぎった。渡そうと思って持ってきたはいいが、どう切り出したらいいか分からない代物。
クレイシルバーでちまちまと作った指輪。指輪なんて付き合って初めてのクリスマスに渡すもんじゃないだろ、ましてや高校生が、なんて言われたら返す言葉もない。それを選んだ動機も「日向を自分のものだと主張したい」とかいうあまりよろしいものではないのだから全く呆れたものである。
馬鹿みたいだ。そう思ってぐっと握った指が冷たくて、こたつまで走って戻った。
「おかえり。すぐ用意できるから待っててくれ」
「おう……ただいま?」
たった数分間席を外した、それも室内を行き来しただけなのにおかえりと言われて少し戸惑う。それを言った日向の格好がエプロン姿だったというのもあるが、料理を用意しながらそう言う姿が何と言うか、新婚みたいだ、なんて。
「何だよ?」
「なっ……んでもねえよ」
「うん?」
日向が首を傾げる。あざといと分かっていても可愛らしく見える辺り本当に恋とは恐ろしいものだ。こたつにぐいと潜り込んで、飯の準備をする日向の背中を見つめるが、何だか妙な気分になりそうだったので数秒見てやめた。エプロン着けたまんまで、とかいうのは妄想とAVだけで十分だ。
次々こたつ机に並べられる料理を眺める。さすがに全部とまではいかないものの、唐揚げや簡単な前菜なんかは自分で作ったらしい。いつも弁当を自分で作っているわけだから当然なのかもしれないが、家庭を持ったら――駄目だ、さっきと同じことを考えてる。
ごん、と音を立てて机に突っ伏したオレに日向が訝しげな声を上げた。自分でも挙動不審なのは分かっているつもりだ。それぐらいクリスマスだとか恋人の部屋だとか二人きりだとかに浮かれていることも。
「何やってんだよ」
「なんでもねーよ」
お前が可愛いからいけない、とは口が裂けても言えなかった。今日言わんとするのはそれじゃない。どうせ伝えるなら、さっきの新婚云々に繋がるような決定打を言うべきだ。
「?まあ体調悪いんじゃないならいいけどな。さ、食べるか」
「おー…………」
「…………どうした?さっきから変だぞ」
「えっ!?」
「折角のクリスマスに悩み事か?何かあるんだったら……」
「あー、いや、悩みっつーかその、な」
今、指輪を渡したら日向は受け取ってくれるだろうか。わからない。
後ろ手に鞄を探り、用意した指輪を手に取る。小さな箱に収まったリングは沈むオレの気持ちに反してとても軽かった。
「それ……」
指が震える。でもここで引いたら、意味がない。
「……コレ。お前に」
「開けていいか?」
頷くついでに俯いて、帽子を目深に被る。ああやっちまった、どうすんだよもう戻れねえんだぞ、ぐるぐるぐるぐる色々なものが頭の上で回っている。
「…………左右田」
「っ、なんだよ」
「俺がこれ、貰ってもいいの」
ぐす、と鼻を啜ったのは俺じゃない。なら、今の音は一体誰の?
「ひなた……?」
「俺、お前の特別だって、思っていいのか……?」
目の縁も鼻の頭も赤くして、何度も袖で拭ってはいるものの泣いたのが見え見えの顔で日向は問いかける。特別でいいのか、と。
「ったりめーだろ……じゃなきゃこんなん贈らねえって」
案の定恥ずかしくなって顔はろくに見れないまま答えることになったが、気持ちに嘘はない。日向がいい。日向を自分のものだと言いたいがために、日向の特別なのだと言いたいがためにわざわざ手間暇かけて作ってきたのだから。
やんわりと肩を抱くと、日向は素直に身を預けてきた。いつもより少し熱い体温が指先をじんわりと温める。
「左右田ぁ」
「なんだよ」
「ありがとな」
「ん」
「でも……すごく言いにくいんだが、その……」
「なんだよハッキリ言えって」
「……指輪、入らない」
「マジかよ!?えっでもオレお前の指ちゃんと測って」
左手を貸せと言って試してみたが、入らない。小指には嵌ったが、肝心の薬指に入らないオチだなんていくらなんでも酷すぎる。このために寝てる間にこっそり指のサイズを測ってまで準備したのにだ。
「わざわざ測ったのか」
「そりゃサイズわかんなきゃ作れねえだろ……っつか入んねえなら直すから返せ」
「そ、か。お前が作ったならますます手放せないな」
そう言う顔の何とも嬉しそうなことで。こんな風に喜ばれるといくらサイズ直しをする為とはいえ、返せと言うのが辛くなる。どうしろっていうんだ。
「それにさ、サイズ測るのって俺に気付かないようにしたんだろ」
「まあな」
「じゃあ、俺もってことでおあいこだ。……これ、左右田に」
胸に押し付けられた袋。開けてみろと目で促されて、紙のそれを指で開く。
「――帽子?」
「お前いっつも帽子被ってるからさ。気に入るかわかんないけど」
袋から出てきたのは、いつも被っているような黒のニット帽に細く黄色とピンクのラインが一筋入ったもの。
「もしかして、編んだのか?」
「いや、まあ、その。女子に習って……っていうかほとんどやってもらったようなもんだけどな!色変えてるとこだけはお前の色だからって自分でやったけど、ガタガタだよな編み目!」
黄色とピンク、つまりオレの服と髪の色。自分が失敗しただけにこういう憎い演出をされると、もう今にもどうにかしてやりたいくらいに日向への気持ちが溢れてくる。
好きだ、と。無意識のうちに言葉が零れた。それに日向が俺も、と応える。
「予想外すぎんだよオメーはよォ」
「俺だって驚いたよ。だって指輪が来るなんて思ってなかった」
「入らなかったけどな」
「いいんだって、気持ちが籠ってれば。首から掛けれるし、平気だろ」
「うっせ。ったくどんだけ苦労してお前にばれないように準備したと思ってんだよ……」
「それはこっちもだぞ。お前寝相悪くてすごい苦労したんだからな」
「そりゃオメーもだっつの、いっつも左手下にして寝やがって」
お互いの寝てる姿とその傍でばれないようにこそこそとサイズを測る様子を想像して、二人して笑う。何だか間抜けだ。
ひとしきり笑って、額を合わせた。日向の丸い目がオレを映す。
「……なァ、日向」
「うん?」
「あー……来年も……」
「……ああ、そうだな」
その先は言わずもがな。願わくは、来年はサイズ間違いなどしないように。

クリスマスバカップル。