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「オレたち足して割ったらちょうどいいかもな」
 いつもの通りに愛用のドライバーで手元の機械を弄びながら、左右田が呟いた。急に何の話だと左右田と背中合わせに座っていた日向は首を傾げたが、思い当たるフシが全く無いわけではない。実際、言葉という形にしていなかっただけで日向も似たような思いは抱いていたからだ。
 左右田にも日向にも、等しく欠けた箇所がある。それがどこかなんて具体的な話はいいとして、いつも左右田の欠けた箇所は日向が埋め、日向の足りないところは左右田が補っていたように思う。それによって二人が完璧になるわけでは決してなかったが、正しくこれは協力であり協調だったし、利に依らぬ二人の友情の形であった。
 左右田の言う「足して二で割る」というのはそのことだろう。日向は少し考えて、そうかもな、と肯定の返事をする。だろォ、と間を置かず返ってくる満足気な声に何故だか口元が緩んだ。
 日向の受け取ったニュアンスで正しかったのだろう、左右田は機嫌が良さそうに右手のドライバーをくるくると回してみせる。
 左右田の抽象的な話にも難なくついていける程度に、日向は左右田に慣れきっていた。順応か適応か、あるいはその両方か。決して整った形でない二人で共に過ごす時間は、心地よく日向の足りない隙間を埋めた。
 ニコイチなんて省エネでお得だろ、とか何とか適当なことを言う左右田にうるせえカズイチとか何とかこれまた適当な相槌を打ちながら、日向は齧りかけのビスケットを眺めてみる。
 これはコンビニで見かけて何となく食べたくなった日向が買って、箱ごとそのまま左右田の作業場に置いてあるものだ。和菓子好きの日向にも、草餅じゃないものを食べたい時だってある。その食べたいものが偶然このビスケットであっただけなのだけれども、こうして見ていると、日向には食べかけのそれが酷く自分達に似たものに思えて仕方がない。
 箱の中で小分けになった袋には、丸いビスケットが入っている。時々割れて欠けているそれが、今の左右田の言葉に不思議と当てはまっているように思えたのだ。
 左右田と日向の縁はきっと運命的なものではない。普通の、安直な、平凡なものだ。でもきっと、左右田と日向の運命の片割れは既に同じ袋の中にはいなかったのだ。そして、最初から二人とも大きく欠けていた。そこにたまたま左右田が、あるいは日向が出くわして、たまたまその割れ方が丁度良かったから二人でひとつとして同じ袋に収まったというだけの話である。
 もしかしたら、もっとぴったり当てはまる破片がどこかに落ちているかもしれない。運命の片割れが元いた袋にひょっこり戻ってくるかもしれない。けれど、左右田も日向も自らそれを探そうとはしないのだ。
 恐らく左右田と日向を二人合わせても、互いの欠けを埋めきれてはいない。けれど左右田といると、不思議と日向の空虚は姿を消していた。欠点を補い合うことや、二人でいることによって発生するメリットそのものよりは、共にいて――他人から見たら大きく欠け落ちていたとしても――その心が満ち足りている事実が日向にはただただ幸福だったのだ。


C87で出した新刊Share.のサンプルです。これは一本目の途中までですがほかにも短編がいくつか入ってます。