渚のチェリー サンプル

 日向と左右田は恋人同士である。話せば長くなるためどういった経緯でそうなったのかというのは省くが、二人は性別こそ同性というイレギュラーなものの、かなり一般的な内容の交際をしていた。
 最初は手を繋ぐことから始まり、キスを時々するくらいまでの関係にはなった。しかし、それ以降全くと言っていいほど進展がない。
 何故か。日向自身はいつでもそういう雰囲気になって構わないと思っているし、左右田が相手なら同性との行為だということもさっぱり気にならない。だというのに肝心の左右田ときたら、少しいい雰囲気になると恥ずかしさが上回ってすぐに逃げ腰になってしまうのだ。それ自体は左右田の元々の性格からすれば予測できないことでもなかったが、やはりそればかりでは寂しい。
修学旅行も延長したとはいえ、行為に及ぶのはまだ早いかもしれない。この修学旅行で出会い付き合い始めてから、まだ二か月と少しだ。たった二か月ちょっとで最後までとなるとかなり急いているのではないか。日向自身焦りがあることは自覚している。
 しかし、日向もいっぱしの男子だ。その上高校生ともなれば、言い方は悪いが所謂やりたい盛りである。人並みの、ともすればやや強めかもしれない性欲を持つ健康的な男子の日向としては、満足しているとは言い難い状況であった。
 それに、そもそも左右田は(甲斐性もないしモテないが)浮気性な性格だ。ソニアへ向かっていた左右田の気持ちをどうにかこうにか自分に向けたのは良かったが、いざ付き合ってみると左右田が日向に性的な意味合いで触れることは少なく、このままでは何かきっかけがあればまたうっかり別の誰かにふらふらと惹かれてどこかへ行ってしまうのではないか、という不安が日向の中にこびり付いて消えないのだ。
 言わずもがな日向は左右田が好きだ。凶悪な見た目に反して案外気弱で繊細で優しいところも、機械に触れているときの楽しそうな顔も、たまに見せる無邪気な笑顔も可愛らしくて、愛しいと思う。それを踏まえて左右田を抱きたい、ひとつになって、その気持ちが自分にあると確かめたい、安心したいと思うのは日向にとっては至極自然なことだった。
日向は左右田のベッドに体育座りで、床に座る左右田を見遣る。この恋人は手元の機械に夢中で、日向の抱える悩みになど気付きもしないだろう。
 いっそ自分がサイボーグにでもなれば左右田の方から触りに来てくれるのだろうか?この身体の隅々まで知ろうと、暴こうとしてくるだろうか。なんて、どこまでも馬鹿馬鹿しい思考に自分のことながら日向は溜息をついた。
「……左右田ぁ」
「あー?」
「あの……えっと、さ、お前……俺としたいと思うか?」
「したい?何の話だよ」
 左右田はピンと来なかったようで、とぼけた答えが返って来る。ここでその手の話だと思わない辺り、やはりまだそういうことをするまでに意識が至らないのだろう。ただ単にそこまでの余裕がないとも考えられるが、そこも左右田のかわいいところだ。しかし今この悩みに直面している日向にとってはそれも忌々しい障壁でしかない。ううん、と日向は唸る。
 単刀直入に伝えるべきか迷う。お前とセックスがしたい、と。少し前まではバカ話の延長で下ネタだって気軽に話せていたというのに、恋人という間柄になってからはすっかりその手の話をするのに慎重にならなければいけなくなった。気持ちの準備が出来ているとはいえ日向にはそれだけでさえ難しいのに、そこに素直な自分の気持ちを乗せるとなると更に問題は難解になる。
 手のひらに薄く汗が滲んできた。そんなに難しいことではないと自分に言い聞かせても、中々言葉が見つからないのだ。顔が赤くなっているのだろうか、どこもかしこも熱い。手のひらに薄く汗が滲んでくる。言葉にするだけならそんなに難しいことではないはずなのに、中々その言葉が見つからない。
 じわじわと首筋が熱くなり始めた。そもそも日向だってそちら方面の話は得意な方ではないのだ、いくら心の準備ができていると言ってもストレートに口に出すのはかなり勇気がいる。
(さっきのは完全に勢いで言ったけど、今それを言わないでどうする?何でもないと濁したところで、状況は何も変わらないんじゃないか?)
落ち着かなさから貧乏ゆすりをしたいのをぐっと堪え、日向は左右田に向き直った。
「その、お、俺と……セックス、したいって思うこと、ないのか?」
「っ、なん……なんつったお前?」
「俺は、左右田としたいって思う」
 真っ直ぐに左右田を見つめながらそう言うと、左右田は口を半開きにして日向を見たり床を見たり天井を見たりと、落ち着かない様子でがちゃがちゃと手元の機械をいじり始めた。
「き、急に下ネタかよ!」
「違うだろ、俺は、その。真面目にだな」
「真面目にってオメーよォ……」
 分かりやすく視線を泳がせ、耳や首まで赤く染めた左右田に焦れて、日向は機械を弄ぶその手を取った。さすがに指先まで赤く染まってはいなかったが、汗ばんで熱を持った手のひらを感じながら、指を絡める。握った手に僅かに力が入ったが、振り解こうという素振りはない。接触自体は嫌ではないのだとわかって、日向の表情が微かに緩む。
受け入れられている。そうだとしたら、自分の欲求を素直に打ち明けてみても良いのだろうか。
「俺は、左右田が好きだからひとつになりたいって思うし、もっと深く繋がりたいって思う。もちろん、左右田が嫌なら無理にとは言わないけど……」
 言いながら俯き、左右田の方を上目遣いにちらと見たのは若干の打算があってのことだ。確かに、左右田が嫌なら無理にはしない、とは言った。しかし日向とてただ羞恥に震えるだけではない。それくらいの下心くらいは当然年相応に持っている。左右田が自分の頼みに弱いということも、自分をきちんと好いていることも分かった上で、関係を進めるべくそうしているのだ。
「ひ、日向……いいのかよ、そんなん、オレ……」
 ようやくこちらを見た左右田に日向は内心ガッツポーズをしながら、思考を「ここからどうやって自然に事に持ち込むか」にシフトさせる。この話題を自ら言い出すこと自体は恥ずかしかったが、そこは日向も年頃の男子である。色よい返事さえ聞こえてくれば、いつでも行動に移す気概はあった。
「俺は左右田がいい。お前は?」
 やわく絡めた指を解いて、左右田の頬に寄せる。その肌が少し熱いと感じるのは、そこに宿る羞恥の色からか。
「……なあ、左右田」
 ゆっくりと、顔を寄せる。唇までもう少しだ。目を閉じて、そのまま見知った柔らかい感触が自分の唇に触れるのを待つ。
「日向……!」
「へ?」
 ぐるり。足元のおぼつかなさと浮遊感に日向が目を開けた時には既に遅かった。視界に入ってくるのは頬を染めた恥じらう左右田の顔のアップではなく、馴染みのコテージの天井。背にはベッドの感触。一瞬で日向は状況を理解した。
「えっ、えっ?左右田、これって……」
「頭、打ってないよな。……悪ィ、オレもう――」
 押し倒された、左右田に。抱こうと思っていた相手に。左右田も男なのだからこの反応は至極当然のものなのだが、自分が抱く側だと信じて疑わなかった日向はその可能性をいつの間にか想定の範囲から除外していたのだ。
「ちょ、ちょっと待て!俺が、される側なのか?」
「そりゃオメーから誘ってきたんだから、トーゼンだろ」
「や、あの、だ、ま、待てよ」
「待たねえ」
 誘ったのは日向だから、止める理由もなく止める気もない。言外にそう視線を投げ掛けながら左右田は日向の襟元からネクタイを抜き取ると、そのまま首筋に顔を埋める。ぬるりと舌が這って行ったあと鎖骨をその鋭い歯に軽く噛まれ、小さな痛みが走ると同時に、じわりと熱が腰に溜まっていくのを日向は感じていた。
「っ、ぁ」
 まずい。想定していた状況から立場が逆転しているのもだが、左右田の与える愛撫を拒み切れそうにない日向自身もだ。このままでは左右田優勢のままトントン拍子に事が運んでしまう。愛が育まれるという意味ではそれでも構わないのだが、左右田を抱こうと思っている日向からすると、この状況は非常にまずい。相手が好きなだけに、流されそうになっているのが、尚更まずい。
「ま、待った、待てよ左右田!」
「あ?」
 待てないと言いつつも、睨むような、明らかに待ったを掛けられて不服だという目をしても日向の必死の声にきちんと止まってしまうあたりが左右田らしい。その律儀さに若干勢いを削がれたものの、今ここで流されるわけにはいかないのだ。
「悪い、ちょっと確認させてくれ。お前が……俺を、抱くんだな?」
「あ?」
「で、俺は、その……抱かれる側ってことで、お前の中では決定してると、そういうことなんだな」
「ソレ、今確認する必要あんのかよ」
「ある。大いにある」
「イミわかんねー」
 左右田は聞く耳を持たない、と言わんばかりに日向の唇に噛みつくようなキスを仕掛けてくる。たどたどしいのに強引に唇を割って来ようとするその動きにどうしてか日向のガードは下がっていった。日向が押し負けて閉じていた口を薄く開くと、ぬるりと左右田の長い舌が日向の口内へ滑り込む。
「ん……」
 ただ唇を重ねるだけのキスまでは何度かしているが、舌を絡める程深いキスは初めてだ。左右田からここまで熱烈に求められるのも、だ。
 左右田とこうして触れ合うのは気持ちがいい。求められている感覚も、触れている箇所から伝わる熱も日向の心を満たしてくれる。こうしていられるならこの際上下などどちらでも構わないのではないか――そう思い始める程度には、日向の思考は左右田から与えられる快感に蕩けていた。


10/12スパコミ新刊サンプル。サンプルは本番ないですが本文はR18ですのでご注意ください。